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人生に夢を


愛こそ命の“かて”
仕事に打ち込めば悟れる

 学院の校庭に記念碑がある。この碑文は初代院長としての私がこわれるままに筆をとったもので、そこには冒頭にかかげた「人生に夢をもて。若人よ、開拓者たれ」と刻まれている。文章も文字もまずいかもしれないが、私としては、学びの庭にいそしむ青少年のために、心をこめて書いたつもりだ。
 私立大学の雄といわれる慶応にしても早稲田にしても、福沢さんなり大隈さんなりの手でつくられた当初はおそらく今日あるようなものではなかったとおもう。学校にしても会社にしても、はじめから完全なものではありえない。それを、心を一つにして完全なものに仕上げていくというところに、たいせつな意義がある。最初から完全なものを望んだり考えたりしては、なにごとも実現しない。
 まず、これで行こうという構想がまとまったら、即時果敢に踏み切ることだ。そのうえで是を伸ばし非を正していくのが、事業経営の常識というものだろう。現在丸善石油には十幾つもの子会社がある。いずれも成長の過程にあるので、いってみればみんないまのところ不完全な会社ばかりだ。私はそれらの会社の大部分の社長をしているので、これを完全なものにするため日夜奮闘している。それは文字どおりの悪戦苦闘なので、私の頭とからだは、一日50時間あっても足りないくらいだ。
 しかし、どんなに力んでみても、人間には睡眠時間が必要だし、まためしも食わねばならない。まったく殺人的な忙しさだが、またそうした労苦のなかに、育てていくもののなんともいえない希望とよろこびがある。それを感得すると、どんなにつらく、どんなに困難な仕事でもおもしろくなる。
 生命の糧(かて)、仕事の糧はやはり“愛”だとおもう。愛というものはことばや文字でおぼえなくとも、その環境におかれるとおのずからわかるものだ。子供に対する親の愛とかいつくしみなどというが、ではその愛とはどういうものかといえば、なかなか的確な表現ができない。それも年をとるとしぜんに会得するが、若いものは、わき目もふらずあたえられた対象に、真剣に取り組むことによって愛のこころを学びとるべきだと私はおもう。学問であれ仕事であれ、ベストをつくして打ち込むことだとおもう。
 当節、学校を出て入社して便所掃除をさせられるということはまずあるまいと思うが、かりにあるとして考えてみよう。たとえいやしい便所掃除でも、自分に課せられた大事な仕事としてそれにベストを尽くす人間はきっと大成する。そういうまじめな人のことだから、だれよりもきれいに掃除するにちがいない、そうなると当然人の目にとまり、あんなりっぱな人をいつまでも便所掃除に使っているのはもったいないということになる。
 そして順次認められて、しだいに地位が上がっていく。そうなるとしらずしらずのうちに仕事そのものが愉快になり、その仕事に心から愛情をもてるようになる。一人でも多く、そういう人間の出現がのぞましい。
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