
18
理想的な学校建設
夢もある優秀技術者
金を使ってこそ合理化
すぐに使える技術者を一般の大学や工業高校にもとめてもだめなので、石油各社は毎年採用後にそれぞれ特別の教育をほどこしている。そんなことでうちの会社もこれまで技術者や技術要員の獲得にはずいぶんなやまされてきた。しっかりした頭脳の持ち主なんてなかなかいないし、あったとしても精神のほうがひねくれていたんではかえって困る。精神も健全で頭もいいものを採りたいのはやまやまだが、それには募集の方法がない。そこで私は、これは人まかせや人だのみではいつまでたっても解決できないから、一つ自分の手で学校をつくろうということに踏み切った。
しかし、学校をつくるとしても中途半端なものでは意味をなさない。少なくとも従来の工員養成所式なものではなんにもならない。同じつくるなら、いままでにない理想的な学校をつくりたい。もとよりそれには膨大な金がいるけれども、会社の将来にはかえられない。すぐに役立つ技術者の養成ということは、大きな目でみれば一種の企業合理化である。世間では、合理化といえば経費の節約ということでいろいろやっているようだが、私の考えはその逆で、真の企業合理化は思いきり金をつかってこそ、はじめてその目的が達せられるものと思っている。
とはいえ、丸善石油は営利会社であり、そこに投資している株主は資本家である。この事業は会社にとって無形の蓄積ですぞといっても、出資者の常としてバランス・シートにのらない数字はいっさい信用しない。考えてみれば当然なはなしなので、その説得にはなみなみならぬ苦労をした。
とにかくそんないきさつがあって、昭和32年4月1日、ようやく「丸善石油高等工学院」の開校までこぎつけた。私は教育についてはずぶのしろうとだが、設立者として初代院長にかつがれ、ついで35年4月、専門部の新設にともなって校名を「丸善石油学院」と改称、今日にいたっている。
この学校をつくるに当たって、いちばん苦労したのは土地の選定であった。なぜかというに、そこから巣立つ青少年は、すぐに役立つ優秀な技術者であると同時にまた優秀な人間でなければならないからだ。したがってどんなにりっぱな施設をもち、どんなにすぐれた教師を擁していても、学院のある場所が、生徒たちの夢をはぐくみ、詩情をつちかう環境にめぐまれていなければいけない。
天のめぐみか、幸いにも打ってつけの土地が見つかった。それは大阪市の北部にある箕面市で、ここはむかしからもみじと滝と野生のサルなどで全国的に知られる景勝の地である。この箕面の一角に新稲(にいな)という台地があって、このあたりは東に箕面川、南に北摂の平野をのぞみ、西に美しい森林地帯を、北に箕面山系をひかえるといった風光明美の地だが、私はこの新稲を学院の母なる土地ときめた。天然の美にかこまれた大地にすっきりとそびえ立つ白亜の校舎と、そこで元気に学んでいる生徒たちを見ると、私はいつも春の夜明けのようにほのぼのとした気持ちになる。