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夢を追って


飛躍的な科学の前進
悩みは教育機関の遅れ・・・

 趣味にも道楽にも、たった一つ、馬だけが私のたのしみであった。大正5年から病気で倒れるまでの40年近くをただ馬だけでやってきたのだから、おもえば私の乗馬歴も古く長い。馬術の選手もやったし、ひところは丸善石油の和田というより、馬の和田のほうが通りがよかったものだ。
 からだがきかなくなったいまでも3頭の馬を持っていて、自分はできないが神戸乗馬クラブの人たちに乗ってもらって憂さをはらしている。そんな関係から現在も日本馬術連盟副会長、関西乗馬団体連合会会長、神戸乗馬クラブ会長など、馬の団体にはたいて顔を出しているが、それほど好きな馬も、半身不随のからだになってはどうにもならない。いまや私のよろこびと楽しみは、人生のはてしない夢を追うことと、その夢の実現に突進することだけだけになった。まえまえから私は、こういうことを考えていた。
 これからさき日本が発展し反映していくためには、どうしても技術にたよらねばばらない。そう考えることにはだれも異存はないはずだ。ところがどういうものか現実には、日本人は技術についてあまりにも関心がなさすぎる。無関心ということは、つまり知らないということだ。
 私ははっきりいう。おそらくいまの時代で、自動車に乗らないものはないだろう。特に都会で仕事をしている人なら、一日に何度か乗らないはずはない。ところが、それでいて自動車そのものに直接関係もない一般人は、十人が十人自分の利用している自動車についてほとんどなんにも知っていない。ジェット機や飛行機についても同じことがいえる。
 いったいどうしたことであろう。かりにも自分たちが生命を託して乗っている自動車や航空機について、どうして走り、どうして飛ぶかを知ろうとしないのである。それほど技術に無関心でありながら、現実に私たちの国は、その無関心な技術によって繁栄し発展しているということは、なんという皮肉、なんという矛盾であろう。私はこの技術という問題について、日夜考えた。これほど大きな問題を、これほど無関心な状態のもとにほうっておいていいのだろうか。
 身近なところに例をとって、石油産業の場合について考えてみたい。戦後の石油産業は実にめざましい発展をとげ、特に技術面における飛躍的前進には刮目(かつもく)すべきものがある。しかもこうした趨勢(すうせい)は、石油化学工業という時代の寵児(ちょうじ)の新たなる登場によってますます拍車をかけられている。
 それをおもえば、石油業界は、いまほど切実に技術の向上と技術者の必要に迫られているときはないはずだ。というのに、日本の現在の教育機関には、基幹産業である石油工業に、卒業とともにそのまますぐ役立つような専門的で、しかも実用的な技術教育をしている学校は一つもない。そこにわれわれの新しい心配と悩みがあった。
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