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自覚と誇り


“石油報国”の一念のみ
自己の行動にプライドを

 うちの会社の屋上には、いつも日の丸の旗がひるがえっている。それでよく「丸善石油は民族資本だから」とか「和田のやることは子供っぽい」とか言われているらしいが、それについてひと言いわせてもらいたい。
 日章旗はながいあいだ日本の国体を象徴してきた。その大事な日の丸の旗が、戦後まったくかえりみられなくなって、国の祝祭日にすらとかく忘れられがちである。こういう風潮は、国民が日本人としての心のよりどころを失っているからだと思う。日の丸は天皇陛下とともに日本の国を象徴しているものであり、日本人が日本人として生きて行くうえの目標である。心のささえである。
 それをなくしたんでは、日本人らしい生き方のできなくなるのは理の当然だ。戦争に敗れたとはいえ、古い伝統を背景とする日本という国家がちゃんと存在しているではないか。とすれば、日の丸は依然として日本の象徴でなければならない。
 私はあのへんぽんとひるがえる日章旗を見ていると、どんなときでもひろびろとした気持ちになり、おのずから日本人としての自覚と誇りをもつことができる。そういう意味で私は日章旗をかかげ、せめて丸善石油の3500名だけでも真の日本人らしい人間として終始したいものだとねがっている。
 いま私にあるものは、“石油報国”の一念だけである。先年、いちはやく石油化学に手をつけたのも、石油製品の対米輸出に乗り出したのも、とどのつまりはこの“石油報国”の精神につながっている。
 若い人たちも、よく私の夢を理解し、協力してくれるのでうれしい。もっとも社員も人間だから、ときには会社のためにならないような結果を生むこともある。そんなとき、よろしく反省して二度とくりかえさないようにするのが会社のためだというが、私はそういう考え方に反対だ。私はよく若い連中をつかまえて「自分というものがなくて会社があるか。おのれがあってこそいっさいの“他”があるのだ。会社のために働いているとおもわずに、自分のために働くという精神に徹して働くべきだ」といっている。ただし、自分のために働くといっても、その行動はつねに正しくあらねばならない。正しい行動で自分のために働くということは、とりもなおさず“おのれを愛する”ということだ。おのれを愛せないものが、会社を愛せるはずがない。
 また私は、プライドということをやかましく言っている。各自それぞれが、自分は会社に対してこのくらい貢献している、という自覚に徹すべきだというのが私の持論である。自己を愛し自己の行動にプライドをもつものは、自分の言動のことごとくがつねに会社のためになっていると確信すべきで、会社のためだといって自己を没却する必要は少しもない。丸善石油の今日を築いたものは、そうしたわれわれの自覚と誇りの集積だ、と私はかたく信じている。
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