(その5)

大木惇夫氏

 大木惇夫あつお 氏の詩集「海原にありて歌へる」の巻頭に、次の詩が載っている。

   戦友別盃の歌
             −−−南支那海の船上にて。
 言ふなかれ、君よ、わかれを、
 世の常を、また生き死にを、
 海ばらのはるけき果てに
 いまや、はた何をか言はん、
 熱き血を捧ぐる者の
 大いなる胸を叩けよ、
 満月を盃にくだきて
 暫し、ただ酔ひてきほへよ、
 わがくはバタビヤのまち
 君はよくバンドンを突け、
 この夕べ相さかるとも
 かがやかし南十字を
 いつの夜か、また共に見ん、
 言ふなかれ、君よ、わかれを、
 見よ、空と水うつところ
 黙々と雲は行き雲はゆけるを。

 大木氏は、大東亜戦争のとき、東印度方面作戦軍に徴用された詩人で、この詩はそのとき作られたものである。
 わたしも戦争にった経験があり、この詩が実に好きで、よく口ずさんだものである。

 ところが昭和三十年代の初め、箕面市に社立学校ができ、私が教職に就いて間もなく、大木惇夫、山田耕筰両氏が学校におみえになったのである。言うまでもなく、校歌を作る意図であり、大木氏に作詞、山田氏に作曲を願う為である。
 私は大木氏に学校の方針、校風を説明し、箕面の山の麓、丘の上、川の畔を歩きながら所要の説明をし、間もなく校歌ができ、山田氏に作曲をしていただいたのである。

     校   歌
  一、新稲にいなの丘に×× 爽けし
     われらが学び
     心のふるさと わざの泉
     おろがめよ 天地人あめつちひと
     真さきく なほく つゝましく
     あゝ 青空よ
     若き日のしるべ
  二、箕面の流れ清し 断えせじ
     すすぐや健か
     学びて生かして 創る望み
     努めばや 新たに こゝに
     たゆまず まず たくましく
     あゝ 花咲くよ
     若き日の誇り      三、省略
 日本文学全集の『現代詩集』によると、大木氏は明治二十八年、広島市で生まれ、広島商業卒、上京、博文館へん集記者、後独立、詩集、長編小説、その他多数とある。
 学校は八年間に卒業生、六百人余を世に出し、閉校となったが、今も各地で同窓会が行われ、校歌は唱いつづけられている。それを聞いていると、大木氏の優しい面影が浮かんでくるのである。


大木惇夫氏
(学院だより第2号)